サブ4挑戦の朝、スマホの計算機が役に立たなかった話
レース当日の朝、目覚ましより先に脳が起きる。「サブ4は1kmあたり何秒で走ればいいんだっけ」。3時間59分59秒を42.195で割る暗算。指が震えて電卓アプリを開く。出てきた数字は「5分41秒」。だがコースには給水所が5kmごとに並んでいて、「次のエイドまでに何分何秒で着けばオンペース?」という別の問いがすぐに襲ってくる。10kmで何分、ハーフで何分、30kmで何分。同じことを6回計算しているうちに、スタートのファンファーレが鳴る。
このツールはその朝の混乱を、ひとつの画面で終わらせるために作った。距離プリセットと目標タイムを入れるだけで、1kmペース・時速・VDOT・Daniels式の練習5ペース・ラップ表・他距離の同等タイムまで一気に出る。スプレッドシートを開かなくていい。VDOT表の画像PDFをピンチアウトしなくていい。「サブ4 ペース」とGoogleで検索した次の画面で、もう答えが揃っている。それが理想。
なぜ作ったのか:分散した「ランナーの計算」を1画面に集約したかった
ランナー向けの計算ツールは世の中にたくさんある。だが多くは機能が分散している。
ペース計算サイトは「タイム÷距離=ペース」のシンプルな計算しかやってくれない。VDOTを知りたければ別のサイトに飛ぶか、Jack Daniels博士の書籍にある巻末表の画像を見るしかない。トレーニングペース(Eペース・Mペース・Tペース・Iペース・Rペース)はさらに別の表に分かれていて、「自分のVDOTが47のときのTペースは何分何秒/km?」を調べるのに、表を3つ往復する。
筆者自身、サブ3.5を狙っていた時期に同じことで苦労した。週末に30kmペース走をやろうと思うたびに、VDOT表の画像を開き、Mペース列を縦に追い、4:58/kmという数字を手帳に書き写す。気合いを入れて走り出すが、5km通過のラップを見ると4:52/km。「速い、抑えろ」と判断したいのに、今日のMペースが何秒/kmだったか手帳を見ないと思い出せない。
「全部1画面でいいじゃないか」と思った。目標タイムを入れれば、VDOTもE/M/T/I/Rの5ペースも、5km刻みのラップ表も、同じ努力度での他距離タイム予想(10kmで何分/ハーフで何分/30kmで何分)も、ぜんぶ一度に出る。Google検索で「サブ4 ペース」と打った人が、別タブを開かずに練習計画まで立てられる。それが本ツールの設計思想だ。
ペース/VDOT/Riegel式とは何か — 第一原理から
ペースとは何か:時速とは違う「ランナーの言語」
ランニングの世界では、速度を時速(km/h)ではなく「ペース(分:秒/km)」で表す。なぜか。
時速15kmと言われても、ランナーの体感には直結しない。だが「1kmを4分00秒」と言われた瞬間に、トラックなら400mトラック1周を96秒、ロードなら100m24秒のリズム、と身体が思い出す。ペースは時間あたりの距離ではなく、距離あたりの時間という逆数の表現で、「あと何km残っていれば何分かかるか」を即座に計算できる。
時速とペースは数式的には逆数の関係だ。
ペース[秒/km] = 3600 / 時速[km/h]
時速[km/h] = 3600 / ペース[秒/km]
時速12km=ペース5:00/km、時速10km=ペース6:00/km、時速15km=ペース4:00/km。ペース表記はランナーの会話で標準なので、本ツールは時速も併記するが、強調表示は1kmペースに置いている。
VDOTとは何か:「あなたの心肺能力のラベル」
VDOTは「ヴイ・ドット」と読む。「Volume of Oxygen, dotted(時間微分)」の略で、Jack Daniels博士が提唱したランナーの心肺能力の総合スコアだ。実測の最大酸素摂取量(VO2max)と似ているが、ランニングエコノミー(走の経済性)も含めた「実走パフォーマンスから逆算した有効酸素摂取量」と定義される。
たとえるなら、車のスペック表にある「排気量」のようなもの。同じ排気量でも車種によって燃費は違うが、おおよその走行性能を一行で表せる。VDOTも同じで、5kmを20分で走るランナーとフルマラソンを3時間で走るランナーが同じVDOT 50台のレンジに収まる。距離が違っても努力度が同じなら、ほぼ同じVDOTになる、というのが理論の核心だ。
VDOTの算出には、走行速度v[m/min]とレース時間t[分]を使った2段階の計算をする。
vo2max = -4.6 + 0.182258 × v + 0.000104 × v² (m/minから瞬時VO2を推定)
%vo2max = 0.8 + 0.1894393 × exp(-0.012778 × t)
+ 0.2989558 × exp(-0.1932605 × t) (時間tでの利用率)
VDOT = vo2max / %vo2max
第1式はvに関する2次式で、速く走るほど酸素需要が非線形に増えることを示す。第2式はレース時間が長いほど%VO2maxが下がる(=ペースが落ちる)ことをモデル化していて、短距離レースほど%VO2maxは高くなる(5km全力なら約97%、フル全力なら約81%)。
この2式により、「あなたが○○kmを○○分で走った」という1ペアの記録から、VDOTという単一スコアが算出できる。詳細は Daniels' Running Formula — Wikipedia を参照。
Riegel式とは何か:「他距離タイム予想の経験則」
Peter Riegelが1981年に発表した経験式が、ランニング界で広く使われている。
t2 = t1 × (d2 / d1)^1.06
「距離d1をt1で走れる人が、距離d2を走ったら何分かかるか」を予想する。指数1.06は、「距離が2倍になるとタイムは2倍より少し遅くなる」という経験則を表す。例えば10kmを40分で走れる人がフルマラソン(4.2195倍の距離)を走ると、40分 × 4.2195^1.06 ≒ 183分(3時間3分)程度になる、という予想だ。
実際には30kmの壁・補給・コース勾配で遅くなることが多いので、Riegel式の予想はあくまで「同じ努力度を維持できれば」という前提の理論値。だが10km自己ベストからフルの目標タイムを設計するときの強力な目安になる。詳細は Riegel formula — Wikipedia を参照。
なぜ「平均ペース」だけではサブ4を達成できないのか
サブ4(フルマラソン4時間切り)に必要な平均ペースは1kmあたり5:41。これは小学生でも算出できる単純な割り算だ。だがこの数字だけを持ってレースに出ると、ほぼ確実に失敗する。理由を実例で示す。
30kmの壁:エネルギー切れと心拍ドリフト
レース後半、特に30km過ぎから心拍数が上昇する現象を「心拍ドリフト」と呼ぶ。同じペースで走っているのに心拍が10〜15bpm上がる。脱水・グリコーゲン枯渇・体温上昇が原因で、放っておくとペースが20〜30秒/km落ちる。
平均ペース5:41/kmで均等に走ろうとすると、前半は楽に感じても後半に失速し、結果4時間15分でフィニッシュ、ということが起きる。これを防ぐにはレース全体を「Mペース(マラソンペース)」という強度で走る必要があり、Mペースの正しい設定にはVDOTの計算が要る。Mペース=VDOT基準速度の約80%で算出されるので、「5:41/kmでMペースとして妥当か」を計算で検証しなければならない。
Tペース(閾値走)の重要性:乳酸処理能力を上げる
サブ4を狙う中級ランナーがやるべき練習は、Eペース(ジョグ)だけではない。週1〜2回のTペース(閾値走)が不可欠だ。Tペースは乳酸閾値=lactate threshold pace で、20〜25分継続できる「キツいが粘れる」強度。VDOT基準速度の88%に相当する。
サブ4ランナーのVDOTは約38、これに対応するTペースは約5:00/km。本ツールはこれを自動算出する。仮にVDOT 38の人が「キツめに走ろう」と4:30/kmで20分走ると、これはIペース(インターバル)相当の強度になり、本来狙うべき乳酸閾値の刺激からズレてしまう。逆に5:30/kmで20分走るとEペース相当となり、乳酸処理能力の向上が頭打ちになる。「キツい」だけでは練習にならない。1km何秒/kmで走るか、という秒単位の精度が必要だ。
規範的な根拠:JADA(日本アンチ・ドーピング機構)的アプローチではなく、Daniels博士の臨床経験
本ツールが採用する5ペース理論は、Jack Daniels博士が約60年の現役コーチング経験から導き出した。米国オリンピック選手数十人を指導した実績があり、書籍「Daniels' Running Formula」は3版まで版を重ねている。市民ランナー向けに体系化された練習設計の世界標準と言ってよい。「平均ペースだけ」のレース計画は、この知見を捨てているに等しい。
活躍する場面
レース当日のペース戦略立案
サブ4を狙う朝、コースマップを開き、5km・10km・15km・…・40kmの各通過予定時刻をメモする。本ツールのラップ表(5km刻み)を使えば、「10kmで56分50秒、ハーフで2:00:00、30kmで2:50:30」が一発で出る。給水所で時計をチラ見した瞬間に、オンペースか落ちているかが判断できる。
週末のトレーニング計画
土曜は20kmジョグをEペースで、日曜はTペースで5km×3本。各ペースが何秒/kmかをVDOTから自動算出するので、トラックに着いてから「今日のTペースって何秒だっけ」と迷わない。スマホをホーム画面に置いておけば、ウォームアップ中に確認できる。
自己ベスト挑戦の現実性チェック
「10kmで40分が出たから、ハーフは1時間28分くらい狙える?」という疑問に、Riegel式が答えてくれる。本ツールの「他距離同等タイム予想」を見ると、10km 40分のランナーのハーフ予想タイムが算出されるので、目標設定の妥当性を即座に確認できる。
コーチング・指導現場
学校陸上部の指導者や、ランニングコーチが生徒・クライアントに「あなたの今のVDOTはこれくらい。E/M/T/I/Rペースはこの数字を目安にして」とその場で提示できる。プリントアウトの代わりにこのページのURLを送ればよい。
基本の使い方
- 距離を選ぶ — 5km・10km・15km・ハーフ・30km・フル・任意の7プリセットから選択。トラックやTTで使うなら「任意」に好きな距離を入力する
- 目標タイムを入力 — 時・分・秒を入れる。例: フルマラソンのサブ4を狙うなら3時間59分59秒(または余裕を見て3:58:00)
- ラップ刻みを選ぶ — 1km/5km/10kmから粒度を選ぶ。フルマラソンなら5km刻みが見やすい
- 結果を確認 — 1kmペース・時速・VDOT・サブN評価・Daniels式5ペース・ラップ表・他距離タイムが自動表示される
入力は左から右へ流れるように設計してある。スマホでも片手親指で完結する。
具体的な使用例(6ケース)
実際の入力値で計算した結果を示す。すべて本ツールの実装と完全に一致する数値だ。
ケース1:フルマラソン サブ3(3時間) — エリート級
入力:距離=フルマラソン(42.195km)、時間=3:00:00
結果:
- 1kmペース:4:16/km(255.95秒/km)
- 時速:14.07 km/h
- VDOT:53.53
- 評価:上級(サブ3達成)
解釈:VDOT 53.53は中級〜上級レンジの上端。市民ランナーで言えば各都道府県の代表クラス。Eペース(70%VDOT)は約5:30/km、Tペース(88%VDOT)は約3:50/km。週60〜80kmの走り込みと月1回のロング走で到達できる領域。
ケース2:フルマラソン サブ3.5(3時間30分) — 上中級
入力:距離=フルマラソン、時間=3:30:00
結果:
- 1kmペース:4:59/km(298.61秒/km)
- 時速:12.06 km/h
- VDOT:44.55
- 評価:初中級〜中級(サブ3.5達成)
解釈:サブ3.5は市民ランナーの上位2割が到達する目安。VDOT 44.55に対応するMペース(80%VDOT)は約5:00/kmで、平均ペースとほぼ一致する。Tペースは約4:30/km、Iペース(98%VDOT)は約4:00/km。週末のロング走でMペースを継続できるかが達成のカギ。
ケース3:フルマラソン サブ4(4時間) — 中級
入力:距離=フルマラソン、時間=4:00:00
結果:
- 1kmペース:5:41/km(341.27秒/km)
- 時速:10.55 km/h
- VDOT:37.90
- 評価:初中級(サブ4達成)
解釈:サブ4は市民ランナー全体の中で「真ん中より少し上」のレンジ。VDOT 37.90のEペースは約6:40/km、Tペースは約5:00/km。意外なことにTペースは平均ペース(5:41/km)より速い。これは「ジョグ多めの練習」だけではサブ4達成は遠く、週1回はTペース走を入れるべき、という実感に裏打ちされている。
ケース4:ハーフマラソン 1:40:00 — 中級
入力:距離=ハーフマラソン(21.0975km)、時間=1:40:00
結果:
- 1kmペース:4:44/km(284.39秒/km)
- 時速:12.66 km/h
- VDOT:45.12
解釈:ハーフ1時間40分はVDOT換算でフルサブ3.5と近いレンジ。Riegel式でフル換算すると約3時間28分。「ハーフは粘れるがフルは後半失速する」というランナーは、フル換算予想とのギャップが10分以上開くケースが多い。30km超のロング走で実走経験を積むことが必要。
ケース5:10km 40:00 — 中上級
入力:距離=10km、時間=0:40:00
結果:
- 1kmペース:4:00/km(240.0秒/km)
- 時速:15.00 km/h
- VDOT:51.94
解釈:10km 40分はVDOTで言うと53近く、サブ3.5以上のフルマラソン地脚に相当する。Riegel式換算ではハーフ約1:28、フル約3:03。10kmで40分が出るが、フルマラソンでサブ3が出せないというランナーは「30km以降のスタミナ不足」が課題で、Eペース+Mペースのロング走を月1〜2回入れるべき。
ケース6:5km 20:00 — 中級スプリント
入力:距離=5km、時間=0:20:00
結果:
- 1kmペース:4:00/km(240.0秒/km)
- 時速:15.00 km/h
- VDOT:49.81
解釈:同じ1kmペース4:00/kmでも、距離が5kmと10kmで違うとVDOTは2ポイントほど変わる。5km 20:00のVDOTは49.81、10km 40:00のVDOTは51.94。これは「同じ努力度で5kmを20分で走るより、10kmを40分で走るほうがVDOTは高い」というRiegel式の経験則と一致する(長い距離を同じペースで保つほうがVDOTスコアは高くなる)。スピードランナーがロードレースでも結果を出すには、距離適応のトレーニングが要る。
仕組み・アルゴリズム
候補手法の比較:なぜDaniels式 + Riegel式を採用したか
「ランナーのスコア化」と「他距離タイム予想」には複数の手法が存在する。本ツールが採用した方式と却下した方式を比較する。
| 手法 | 強み | 弱み | 採用 |
|---|---|---|---|
| Daniels VDOT式 | 練習5ペース理論と一体化、世界標準 | 数式が複雑、文献参照が必要 | 採用 |
| Riegel式(他距離予想) | 単純な指数式、計算が軽い | 30km超で誤差大、係数1.06は経験則 | 採用 |
| Cameron式 | 短距離での精度が高い | フル予想が甘め、研究例少ない | 不採用 |
| 心拍ベース(Karvonen) | 個人差を反映 | 安静時心拍・最大心拍の実測が必要 | 不採用 |
| ARPプロトコル | 実走テスト不要 | 学術的根拠が薄い | 不採用 |
Daniels式を採用した決定打は、**「VDOTから5ペースが直接逆算できる」**点。VDOT 50のランナーは、Eペース・Mペース・Tペース・Iペース・Rペースの全てが「VDOT 50の○○%VDOTで定義される速度」として一意に決まる。これにより「目標タイム→VDOT→練習5ペース」という一直線の計算フローが構築できる。
Riegel式は単純さが採用理由。指数1.06は約40年の経験データから経験的に決められた値で、5km〜フルの間ではおおむね妥当(30km超では誤差が出やすいが、目安としては十分)。
実装の詳細:VDOTからトレーニングペースを逆算する
本ツールの計算フローは以下の通り。
// 1) 入力からペース・速度を算出
const paceSec = totalSeconds / distance; // 秒/km
const speedKmh = distance / (totalSeconds / 3600); // km/h
const vMmin = (distance * 1000) / (totalSeconds / 60); // m/min
// 2) Daniels公式でVDOTを推定
const vo2max = -4.6 + 0.182258 * vMmin + 0.000104 * vMmin ** 2;
const tMin = totalSeconds / 60;
const pctVo2 =
0.8 +
0.1894393 * Math.exp(-0.012778 * tMin) +
0.2989558 * Math.exp(-0.1932605 * tMin);
const vdot = vo2max / pctVo2;
// 3) 各ペース(E/M/T/I/R)の目標VO2を計算し、二次方程式で速度を逆算
const trainingPaces = [0.70, 0.80, 0.88, 0.98, 1.05].map((pctZone) => {
const targetVo2 = vdot * pctZone;
// -4.6 + 0.182258v + 0.000104v² = targetVo2 を v について解く
const disc = 0.182258 ** 2 + 4 * 0.000104 * (4.6 + targetVo2);
const v = (-0.182258 + Math.sqrt(disc)) / (2 * 0.000104);
return { paceSec: 60000 / v };
});
// 4) Riegel式で他距離タイム予想
const equivTimes = STANDARD_DISTANCES.map((d) => {
const t2 = totalSeconds * Math.pow(d.km / distance, 1.06);
return { distance: d.km, totalSeconds: t2 };
});
ポイントは3番目のステップで、VO2max式(vの2次式)をvについて逆解きすること。判別式を使った解の公式で速度の正の解を取る。この計算が市販の電卓では手間で、専用ツールが必要になる理由でもある。
計算例:サブ4(4:00:00)のVDOTを手計算で追う
ケース3の計算をステップごとに追う。
入力: distance = 42.195 km, time = 4:00:00 = 14400秒
ステップ1: paceSec = 14400 / 42.195 = 341.27 秒/km
ステップ2: speedKmh = 42.195 / (14400/3600) = 42.195 / 4 = 10.55 km/h
ステップ3: vMmin = (42.195 × 1000) / (14400/60) = 42195 / 240 = 175.81 m/min
ステップ4: vo2max = -4.6 + 0.182258×175.81 + 0.000104×175.81²
= -4.6 + 32.04 + 3.21 = 30.66 mL/kg/min
ステップ5: tMin = 14400 / 60 = 240分
pctVo2 = 0.8 + 0.1894393×exp(-0.012778×240) + 0.2989558×exp(-0.1932605×240)
≒ 0.8 + 0.00887 + 0.0000... ≒ 0.8089
ステップ6: VDOT = 30.66 / 0.8089 ≒ 37.90
VDOT 37.90は初中級レンジの上端。期待値とぴったり一致する。同様の手計算でケース1(VDOT 53.53)、ケース5(VDOT 51.94)も再現できる。
トレーニング%VDOTの根拠
E=70%、M=80%、T=88%、I=98%、R=105%という配分はJack Daniels博士の長年の臨床経験から決められた値で、生理学的にも以下の意味を持つ。
- E(70%):脂質代謝主体、毛細血管網の発達促進、ミトコンドリア量の増加
- M(80%):マラソンレースペース、グリコーゲン使用効率の改善
- T(88%):乳酸閾値(LT)、乳酸処理能力の向上(最重要練習)
- I(98%):VO2max刺激、最大有酸素能力の向上
- R(105%):ランエコノミー(走の効率)、神経筋速度の改善
各ペースの目的が違うので、「とりあえずキツい練習」では各能力をバランスよく伸ばせない。本ツールは目標タイムから自動的に5ペースを算出することで、初心者でもバランスの取れた練習計画を立てられるよう設計されている。
他ツールとの違い(マラソンペース計算 比較)
マラソンのペース計算・VDOT 算出ができるサービスは Web 上にいくつかあるが、それぞれ得手不得手がある。本ツールがどう位置づけられるかを、3つの代表的な選択肢と比較して整理した。
個人ブログのペース早見表との違い 「サブ4 ペース」で検索すると上位に並ぶのは、市民ランナーの個人ブログによる早見表だ。「サブ4 = 5:41/km」「サブ3 = 4:15/km」といった代表値がテーブルでまとまっており参考になる。ただし距離が変わると表ごと探し直す必要があり、自分の現状タイム(例: ハーフ 1:40)から VDOT を逆算してフルマラソン予想を出す、という発想がない。本ツールは距離・タイムを入れた瞬間に1kmペース・時速・VDOT・他距離同等タイムまで一気に出るため、検索のたびに早見表を行き来する手間が消える。
Strava / Garmin Connect との違い Strava や Garmin Connect は実走データを記録して事後分析するサービスで、「予測タイム」も提供する。ただしこれは過去の走行履歴に基づく統計予測で、ユーザーが任意の目標タイムを入れて「その VDOT で必要な T ペースは?」と逆引きするインターフェイスにはなっていない。本ツールはまさに目標タイム入力 → トレーニング5ペース出力という逆引きに特化していて、レース1ヶ月前の練習計画づくりに直接使える。
Jack Daniels 公式 VDOT Calculator との違い Jack Daniels 博士の RunSMART プロジェクトが提供する公式 VDOT Calculator は VDOT 理論の本家だ。ただし英語版で日本語表示がなく、サブ3/4/5 のような日本式のサブN表記もない。フィート/マイル単位がデフォルトの設計で、km 単位に切り替えても日本のランナーにとって馴染みが薄い。本ツールは km/メートル法・日本語表記・サブN評価をネイティブにサポートし、ハーフのサブ80・サブ90 など日本市民ランナーの常用ターゲットも自動判定する。
特に「目標タイムから5練習ペースを即座に逆算しつつ、サブN評価・Riegel他距離予想まで1画面に収める」という設計は、英語圏ツールの和訳版にも個人ブログにも存在しない。
豆知識・読み物(VDOT と Riegel 式の歴史)
Jack Daniels 博士は近代ペーストレーニングの父
VDOT を提唱した Jack Tupper Daniels 博士(1933- )は、近代ランニングコーチングの教科書的存在だ。ニューメキシコ大学で運動生理学博士号を取得し、1968年メキシコ五輪・1972年ミュンヘン五輪で米国近代五種代表として銅メダルを獲得した「研究者兼アスリート」というユニークな経歴を持つ。1970年代から数千人のランナーの VO2max とレースタイムを実測し、その回帰式から VDOT 理論を確立した。著書「Daniels' Running Formula」(初版 1998年・第3版 2014年)は世界中のコーチに読まれ、日本でも翻訳版が出版されている。
参考: Jack Daniels (coach) - Wikipedia
Riegel 式は1981年の機械工学者の論文
他距離の同等タイムを予想する式 t2 = t1×(d2/d1)^1.06 は、1981年に米国の機械工学者 Peter Riegel が発表した経験式だ。論文タイトルは "Athletic records and human endurance"(American Scientist 誌)で、ランニングだけでなく水泳・自転車・スピードスケートまで横断的にデータを集め、「持久系競技の記録は距離のべき乗で予測できる」という普遍法則を見出した。指数 1.06 は数千件の世界記録データから回帰した値で、距離が2倍になると所要時間は 2^1.06 倍(約2.08倍)になることを意味する。短距離ほど誤差が大きくなる傾向はあるが、5km から フルマラソンの範囲では今でも実用に耐える精度を保っている。
サブ3 の歴史的価値
フルマラソンを3時間以内(サブ3)で走るランナーは、日本では成人男性ランナーのおおよそ3%以下と言われている(マラソン人口を基準にした推計)。世界最初のサブ3達成は1908年のロンドン五輪まで遡るが、市民ランナーがサブ3を狙えるようになったのは1970年代以降の市民マラソンブームから。Daniels の VDOT 表では サブ3 = VDOT 53.5 に相当し、これは「中級の上」レベル。ちなみに男子マラソン世界記録(2:00:35・2023年)の VDOT は約 85 で、市民ランナーの上限値を大きく超える。
Lydiard 理論との関係
VDOT 理論と双璧をなす持久系トレーニング理論に、ニュージーランドの Arthur Lydiard(1917-2004)が確立した「ピリオダイゼーション理論」がある。Lydiard は「年間を基礎期・強化期・調整期に分け、強度より走行距離を重視する」と提唱し、Daniels は「VDOT に応じた5強度を週ごとにバランス配分する」と提唱した。両者は対立するものではなく、Lydiard の年間設計の上に Daniels の週内強度配分を乗せる、というのが現代の主流アプローチだ。
Tips(VDOT を実走で活かす5つのコツ)
- VDOT 表は2-3ヶ月ごとに更新する: 一度測った VDOT を半年使い続けると過小評価か過大評価のいずれかに偏る。レースや 10km タイムトライアルを2-3ヶ月ごとに実施し、最新の VDOT で練習ペースを更新する習慣をつけてほしい。本ツールに新しいタイムを入れ直すだけで5練習ペースが瞬時に再計算される
- 80/20 ルールで E ペースを最優先する: 週間練習量の80%を E(Easy)ペースに、残り20%を T/I/R などの高強度に配分するのが Daniels と Stephen Seiler(科学者)の共通推奨だ。サブ4 ランナーなら週40kmのうち32kmを E ペース、8kmを M/T/I/R で組むイメージ。E を削って高強度を増やすと故障リスクが急上昇する
- T ペース走は週1回・20分継続が基本: 閾値走(Threshold)は「乳酸が溜まり始めるが除去も追いつく」ギリギリの強度で、20-25分継続できる速度に相当する。本ツールが算出する T ペースで20分走を週1回入れるだけで、VDOT は3ヶ月で1-2 ポイント上がるケースが多い
- I ペースは3-5分×繰返、レスト2分: インターバル(VO2max刺激)は3-5分間 I ペースで走り、ジョグで2分レストを取って4-6本繰返すのが標準メニュー。1本5分以下に区切る理由は、VO2max は90%以上を5分以上維持できないという生理学的根拠による
- レース当日は T-M の中間ペースから入る: フルマラソンの本番は M ペース(マラソンペース)が原則だが、序盤の興奮で T ペース寄りに突っ込みがちだ。本ツールの M ペースを腕時計に設定し、最初の5kmだけは「M ペース+5秒/km」で抑えてからイーブンに戻すのが、後半失速を防ぐ実務テクニックだ
FAQ(マラソンペース計算 よくある質問)
VDOT とは何? VO2max と違うの?
VDOT は Jack Daniels 博士が提唱した「実測 VO2max ではなく、レースタイムから逆算したパフォーマンス値」だ。実測 VO2max は呼気ガス分析装置が必要で一般人には測れないが、VDOT はレースタイムさえあれば算出できる。VDOT は VO2max とランニングエコノミー(走の経済性)を統合した値で、「同じ VO2max でも走り方が効率的な人は VDOT が高くなる」という性質がある。実用上は「自分のフィットネスを数値1個で表現でき、それに応じた練習ペースが出る」のが最大のメリットだ。
心拍計算は不要? 心拍計が無くても VDOT で十分?
VDOT は速度ベースの指標なので、心拍計が無くても5練習ペースを決められる。ただし気温が高い日や疲労が溜まっている日は同じペースでも心拍が上がるため、心拍計があると「今日は VDOT 通りに走るのが危険」と判断できる利点がある。Daniels 自身は「心拍は VDOT の補助指標として使え」という立場で、本ツールも同じ思想だ。心拍ゾーン計算は将来アップデートで追加予定だが、まずは VDOT ベースで5練習ペースを把握するのが優先事項となる。
気温・標高補正は反映される?
現バージョンでは気温・標高補正は実装していない。一般的な経験則として「気温が15度を超えると1度上がるごとにペースが1-2秒/km 落ちる」「標高1500m以上では VO2max が5-10%低下する」と言われている。本ツールで出した E/M/T ペースは「気温10-15度・海抜0m前後の理想条件」を基準とした目安として捉え、夏場や高地レースでは自身の RPE(主観的運動強度)で5-15秒/km 緩めるのが安全だ。気温・標高補正は将来追加検討中の機能。
練習5ペース(E/M/T/I/R)はどう使い分ける?
それぞれの目的が異なる。E(Easy)は週の8割を占める土台ペースで、毛細血管とミトコンドリアを増やす。M(Marathon)はマラソン本番ペースで、レース2-4週前に20-30km走で確認する。T(Threshold)は乳酸閾値走で、週1回20分継続が基本。I(Interval)は VO2max を刺激するインターバルで、3-5分×4-6本。R(Repetition)はスピードとランエコノミーを養うショート反復で、200-400m×8-12本。週単位で E を土台に、T か I を1回だけ追加するのが故障しないバランスとなる。
Riegel 式で出る他距離同等タイムはどのくらい正確?
5km からフルマラソンの範囲では誤差±2-3%程度が経験的な目安だ。例えば10km 40分のランナーがフルマラソンを走った場合、Riegel 式の予測は3時間04分前後で、実走では2時間58分から3時間10分の範囲に大半が収まる。ただし「距離が伸びるほど精度が落ちる」傾向があり、特にフルマラソン以降のウルトラ領域では誤差が10%以上になることもある。これは持久力の個人差が距離とともに増幅されるためだ。レース1-2ヶ月前のタイムを基準にすると精度が上がる。
初心者がいきなり Daniels 式トレーニングを始めても大丈夫?
完全な初心者には推奨しない。Daniels 式は「週30km以上を継続的に走れる人」を前提とした強度配分で、ランニング経験6ヶ月未満や走行距離が週10km未満の人がいきなり T/I を入れると故障リスクが高い。まずは E ペースだけで週3回・1回30-40分を3ヶ月続け、VDOT が35を超えてから T を週1回追加するのが安全な導入順だ。本ツールの VDOT 評価で「ビギナー」と出た場合は、E ペース中心の基礎期間を優先してほしい。
まとめ
マラソンペース&VDOT シミュレーターは、目標タイムから1kmペース・時速・VDOT・Daniels 式5練習ペース・ラップ表・他距離同等タイムを1画面で完結させる無料ツールだ。サブ3・サブ4・サブ5 を狙う市民ランナーから、10km・ハーフで PB 更新を目指す中級ランナー、トレーニングプランを生徒に提示したいコーチまで、現状把握と練習計画の両面で使える。練習計画を週単位の時間枠で管理したいときは /weekload 、シニアランナーが年齢別の目安と比べたいときは /age-calc も併用してほしい。本ツールへの要望や不具合報告は /contact からお気軽に連絡してほしい。
Mahiro
Mahiro Appの開発者。VDOT表の画像PDFをピンチアウトしてMペースを縦に追っていた時期の手間を、本ツールで一発で済むようにしたかった。市民ランナーの「ペース計算で消える数分」を、すべて1画面に回収するのが目標だ。
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