EVインバータの設計卓上、データシートと電卓の往復はもう要らない
EV駆動インバータの初期検討で、Infineonのデータシートを開いて Eon と Eoff の値をメモし、電卓で「mJ → J 換算、kHz → Hz 換算、Vdc/Vref 比、Ic/Iref 比…」と打ち込んでいた時間。あの作業、3年前まで私は週に何時間も費やしていた。さらに接合温度 Tj を確認するために Rth(j-c) を別タブで探し、Tc を 75℃ と仮定して Tc + P·Rth を計算する。動作点を変えるたびに同じ手順を繰り返す。これがパワエレ設計初期検討の現実だった。
「同じ条件で SiC MOSFET ならどれだけ違うのか」を聞かれても、別ツールに切り替えて再入力。本ツールは IGBT の導通損失・スイッチング損失・接合温度に加えて、同条件の SiC MOSFET 比較まで 1 画面で見せる。プリセットを選んで動作条件を打ち込むだけで、Tj が緑/黄/赤で即時判定。手計算からの解放を狙った、IGBT 専用の損失計算機。
なぜ作ったのか — IGBT は MOSFET 用ツールでは扱えない
このツールを作った直接のきっかけは、社内で「IGBT 用の損失計算機ありませんか」と聞かれたとき、Web 検索しても出てこなかったことだった。MOSFET 向けの簡易計算機はいくつもあるのに、IGBT になると Excel テンプレートか、ベンダー提供の重い専用ソフト(IPOSIM、SemiSel など)しか見つからない。Web 上で完結する IGBT 損失計算機が、2026 年現在でも驚くほど少ない。
理由はある。MOSFET の損失計算は Pcond = Id²·RDS(on)·D という単純な抵抗モデルで済むが、IGBT は飽和電圧 VCE(sat) という非線形な振る舞いを示す。さらにスイッチング損失は Eon/Eoff という「ジュール単位の試験測定値」をデータシートから読み取り、現場の Vdc/Ic にスケーリングする必要がある。MOSFET 向けツールに IGBT のパラメータを入れても、根本式が違うため正しい値が出ない。
加えて、初期検討では「IGBT で組むか、SiC MOSFET に置き換えるか」の判断が必須になる。EV インバータも産業用も、ここ数年で SiC への置き換え検討が常識になった。だが両方の損失モデルを別ツールで計算して紙の上で比較するのは面倒すぎる。1 画面で IGBT と SiC MOSFET の損失を並べて、推奨デバイスまで自動判定してくれるツールが欲しかった。
そして接合温度 Tj。これが最終的に熱設計の合否を決める数値であり、Pcond と Psw を出した後に Tc + P·Rth で算出するという基本的なステップだ。なのに損失計算ツールと熱抵抗計算ツールが分かれているサイトばかり。一気通貫で「Tj は今 90℃ です、安全範囲です」と即答してくれるものが欲しかった。これが本ツール開発の動機。
IGBT とは — バイポーラと MOSFET の融合デバイス
IGBT とは何か
IGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor、絶縁ゲート バイポーラ トランジスタ)は、入力側に MOSFET、出力側にバイポーラトランジスタの構造を組み合わせたパワー半導体デバイス。MOSFET のように電圧駆動で簡単にゲート制御でき、かつバイポーラの特性で大電流を低損失で流せる「いいとこ取り」のデバイスだ。
たとえると、MOSFET は「軽くて操作しやすい小型バイク」、バイポーラは「重くて乗りこなしが難しいが力強いトラック」。IGBT は「トラックに小型バイクのハンドルを付けた」ような構造で、運転は楽なのに高出力を扱える。
IGBT の動作原理
ゲート電圧を加えると入力 MOSFET が ON になり、PNP バイポーラトランジスタのベースに電流を注入する。これによりコレクタ-エミッタ間が導通し、コレクタ電流 Ic が流れる。電圧降下は MOSFET の Id·RDS(on) ではなく、バイポーラ特性の飽和電圧 VCE(sat)(典型値 1.5〜3.0V)として現れる。これが MOSFET と決定的に違う点で、IGBT は電流値に対して飽和電圧がほぼ一定。つまり大電流ほど IGBT が有利になる。
Si IGBT の発展史
IGBT は 1980 年代に GE と RCA が独立に発明し、1985 年に商用化された。当初の Si IGBT は損失が大きく、用途は限定的だった。
1990 年代に PT(Punch Through)構造が登場。N+ バッファ層で電界を制御し、低 VCE(sat) を実現した。一方で温度特性が悪く、並列運転が難しかった。
2000 年代に NPT(Non-Punch Through)構造が普及。バッファ層を持たず、温度に対して VCE(sat) が正の係数を持つため、並列運転で電流が自動的に均等化される。Infineon の IGBT3、IGBT4 シリーズはこの構造をベースに進化した。
2010 年代に トレンチゲート構造が主流に。表面平面型のプレーナゲートに対し、トレンチを掘ってゲートを縦方向に形成することで、JFET 抵抗を排除して導通損失を 30% 以上削減した。FF450R12ME4 のような現代の IGBT モジュールはトレンチゲート + フィールドストップ構造を採用している。
RC-IGBT と最新動向
近年は **RC-IGBT(Reverse Conducting IGBT)**が登場。IGBT チップ内に逆並列のフリーホイールダイオード(FWD)を一体化した構造で、チップ面積を約 30% 削減できる。Infineon の HybridPACK Drive シリーズなど、EV 用途で採用が進んでいる。詳細は Wikipedia: Insulated-gate bipolar transistor を参照。
そして 2020 年代は SiC MOSFET の台頭期。Si IGBT の物理限界(VCE(sat) ≒ 1.5V がほぼ下限)を、ワイドバンドギャップ半導体の SiC が突破しつつある。だが大電流(300A 以上)・低周波(10kHz 以下)の領域では、コスト面で IGBT が依然として優位。本ツールは「どちらを選ぶべきか」の初期判断材料を提示する。
実務での重要性 — Tj 管理を誤ると即破壊
IGBT 設計で Tj(接合温度)の管理が失敗すると、何が起きるか。最悪の場合、半導体チップが熱暴走で破壊する。Si IGBT の定格 Tj_max は通常 150℃ で、これを超えるとバイポーラのベース電流が急増 → 発熱増加 → さらにベース電流増加、という正フィードバックループに入る。数秒で 200℃ を超え、ボンディングワイヤ溶断またはチップ割れに至る。
過去の事故事例として、太陽光発電 PCS(パワーコンディショナ)の現場では、夏場の高温下で放熱器の汚れにより Tc が想定 75℃ → 95℃ まで上昇し、Tj が 150℃ を超えて IGBT モジュールが連鎖破壊した事例が業界紙で報告されている。鉄道車両のインバータでも、トンネル内停車時に冷却風量が低下し、複数編成で IGBT 故障が同時発生した事例がある。これらはいずれも「設計時に Tj マージンが少なかった」ことが根本原因。
パワーサイクル寿命
もう一つの問題がパワーサイクル寿命。IGBT モジュールは Si チップとセラミック絶縁基板、ベース板を異種材料で接合しており、温度変化(ΔTj)のたびに熱膨張差で内部に応力が発生する。半田層やボンディングワイヤがこの応力で疲労破壊する。IEC 60749-34 や JEDEC JESD22-A104 にパワーサイクル試験規格が定められている。
経験則として、ΔTj が 10℃ 増えるとパワーサイクル寿命は約半分になる(Coffin-Manson 則)。EV 駆動インバータでは加減速のたびに Tj が変動し、20 年で数百万回のサイクルに耐える必要がある。設計目標 Tj を 125℃ 以下に抑えるのが業界の暗黙ルールで、本ツールも 125℃ を超えると黄色警告を出す。
業界規格と推奨マージン
JEITA EDR-7530 や IEC 60747-9 では IGBT 適用ガイドラインが定められており、信頼性確保の観点から Tj_design ≦ 125℃ が推奨される。Infineon、Mitsubishi、Fuji の設計ガイドも同じ値を推奨している。本ツールはこの業界共通の推奨値を反映し、Tj が 100℃ 以下なら緑(十分なマージン)、125℃ 以下なら緑(推奨範囲)、150℃ 以下なら黄色(要検討)、150℃ 超で赤(破壊リスク)と判定する。
活躍する場面
- EV 駆動インバータの初期検討: Infineon HybridPACK や FF450R12ME4 で 50〜200kW 駆動を組むときの動作点別損失マップ作成
- 産業用モータドライブ: 三菱 CM200DY-24A や Fuji 2MBI300U4H-120 を使った中容量インバータ(5〜100kW)の熱設計
- 太陽光発電 PCS: 10〜50kW 級で fsw=4〜10kHz の領域。IGBT が支配的だが SiC 置き換え検討も増加
- アーク溶接機・抵抗溶接機: 100〜500A の大電流パルス制御。IGBT がコスト面で優位
- 鉄道車両用補助電源(SIV): 高耐圧(1700V〜3300V)IGBT による主回路の損失見積
- 誘導加熱・電子レンジ用インバータ: 中容量(30〜100A)で fsw=20〜50kHz の領域。SiC MOSFET 置き換えの妥当性確認
これらに共通するのは「Si IGBT で組むか、SiC MOSFET に置き換えるか」の判断が必要なこと。本ツールは両者の損失を 1 画面で比較し、推奨デバイスまで提示する。
基本の使い方(3ステップ)
- モジュールを選ぶ: ドロップダウンから Infineon FF450R12ME4 / Mitsubishi CM200DY-24A / Fuji 2MBI300U4H-120 / Semikron SKM400GB12T4 のいずれかを選択。VCE(sat)・Eon・Eoff・Rth・Vref・Iref が自動入力される
- 動作条件を入れる: コレクタ電流 Ic、DC バス電圧 Vdc、スイッチング周波数 fsw、実効デューティ D を入力(正弦波 PWM なら D=0.5 が目安)
- 熱条件を設定: ケース温度 Tc を入力(典型値は 75〜100℃)。必要に応じて VCE(sat)・Eon・Eoff・Rth を手動上書き
入力すると即座に導通損失・スイッチング損失・総損失・接合温度 Tj に加え、同条件 SiC MOSFET 比較と推奨デバイス判定が表示される。Tj カードが緑なら問題なし、黄色なら設計見直し検討、赤なら必須見直し。
具体的な使用例
ケース1: Infineon FF450R12ME4 標準動作(EV 駆動の中負荷)
入力値:Ic=100A、Vdc=600V、fsw=10kHz、D=0.5、Tc=75℃、VCE(sat)=1.75V、Eon=42mJ、Eoff=38mJ、Rth=0.058℃/W
結果:Pcond=87.50W、Psw=177.78W、Ptotal=265.28W、Tj=90.39℃。SiC MOSFET 参考値は Pcond_mos=125.00W、Psw_mos=9.00W、Ptotal_mos=134.00W で、IGBT の約 50%。判定は SiC MOSFET 推奨。
解釈:fsw=10kHz でも IGBT のスイッチング損失(Psw=177.78W)が支配的。SiC MOSFET にすれば総損失が約半分に減らせる。Tj は 90℃ で十分なマージンあり。
ケース2: 軽負荷・高周波運転(25kHz)
入力値:Ic=50A、Vdc=400V、fsw=25kHz、D=0.5、Tc=60℃、その他 FF450R12ME4 標準
結果:Pcond=43.75W、Psw=148.15W、Ptotal=191.90W、Tj=71.13℃。SiC MOSFET は Ptotal_mos=38.75W で IGBT の約 1/5。判定は SiC MOSFET 強推奨。
解釈:fsw=25kHz は IGBT には完全に不利な領域。スイッチング損失が導通損失の 3 倍以上を占める。同条件の SiC MOSFET なら損失が 1/5 になり、放熱器サイズも大幅に縮小可能。
ケース3: Mitsubishi CM200DY-24A 高負荷運転
入力値:Ic=150A、Vdc=600V、fsw=8kHz、D=0.5、Tc=80℃、VCE(sat)=2.5V、Eon=20mJ、Eoff=25mJ、Rth=0.14℃/W
結果:Pcond=187.50W、Psw=270.00W、Ptotal=457.50W、Tj=144.05℃。SiC MOSFET は Ptotal_mos=292.05W。判定は SiC MOSFET 推奨(IGBT の約 64%)。
解釈:CM200DY-24A は VCE(sat)=2.5V と高めで導通損失が大きい。Tj=144℃ は黄色警告領域で、長期信頼性のためデスレーティングが必要。SiC 置き換えで Tj を約 120℃ まで下げられる。
ケース4: Fuji 2MBI300U4H-120 中容量低周波(700V バス)
入力値:Ic=200A、Vdc=700V、fsw=5kHz、D=0.5、Tc=70℃、VCE(sat)=2.1V、Eon=30mJ、Eoff=40mJ、Vref=600V、Iref=300A、Rth=0.08℃/W
結果:Pcond=210.00W、Psw=272.22W、Ptotal=482.22W、Tj=108.58℃。SiC MOSFET は Ptotal_mos=510.50W で IGBT より 6% 高い。判定は 用途次第(比較検討)。
解釈:fsw=5kHz の低周波領域では IGBT の方が SiC MOSFET より総損失で僅差勝ち。導通損失が支配的なため、IGBT のコスト優位性を考えるとここは IGBT が現実的。Tj=108.58℃ で実設計推奨範囲内。
ケース5: Semikron SKM400GB12T4 大容量中周波
入力値:Ic=300A、Vdc=600V、fsw=15kHz、D=0.5、Tc=85℃、VCE(sat)=1.95V、Eon=34mJ、Eoff=30mJ、Iref=400A、Rth=0.065℃/W
結果:Pcond=292.50W、Psw=720.00W、Ptotal=1012.50W、Tj=150.81℃。SiC MOSFET は Ptotal_mos=1165.50W。判定は 用途次第(比較検討) だが Tj が 150℃ を超え赤警告。
解釈:Tj=150.81℃ は定格超過で赤警告。放熱器強化(Rth を 0.04℃/W 以下に低減)または Ic を 250A 程度にデスレーティング必須。fsw=15kHz は両者が拮抗する領域だが、Tj 観点でデスレーティング前提なら設計余裕の大きい SiC MOSFET 選択も合理的。
ケース6: FF450R12ME4 高電圧低周波(800V バス・低電流)
入力値:Ic=80A、Vdc=800V、fsw=3kHz、D=0.5、Tc=70℃、その他 FF450R12ME4 標準
結果:Pcond=70.00W、Psw=56.89W、Ptotal=126.89W、Tj=77.36℃。SiC MOSFET は Ptotal_mos=82.88W で IGBT の約 65%。判定は SiC MOSFET 推奨。
解釈:低電流(Ic=80A)では IGBT の固定 VCE 降下が不利になり、SiC MOSFET の Ic²·R 損失が小さく抑えられる。fsw=3kHz と低周波でも、低電流条件では SiC が勝つ典型例。直感に反するが、低電流・低周波 = IGBT 有利は必ずしも成立しないことを示す好例。
仕組み・アルゴリズム — IEC 60747-9 線形スケーリング式
計算手法の選定
IGBT の損失計算には複数のアプローチがある。
- データシート線形スケーリング法(IEC 60747-9 推奨): データシート定格条件(Vref, Iref)の Eon/Eoff を、現場の Vdc/Ic の比で線形補間する
- 物理モデル法: デバイス内部の電荷蓄積・電流分布を有限要素法で計算する手法。Ansys や Synopsys TCAD 等で使用
- 温度依存補正法: VCE(sat) と Eon/Eoff の温度係数を考慮し、Tj をフィードバック計算する手法
本ツールは 1. の線形スケーリング法を採用する。理由は、初期検討段階では物理モデル法は重すぎ、データシート値だけで十分な精度(誤差 ±15% 程度)が得られるため。Infineon、Mitsubishi、Fuji の設計ガイドもこの方式を初期見積に推奨している。
実装する計算式
P_cond = VCE(sat) · Ic · D
P_sw = (Eon + Eoff) · fsw · (Vdc / Vref) · (Ic / Iref)
P_total = P_cond + P_sw
Tj = Tc + P_total · Rth(j-c)
ここで Eon・Eoff は mJ → J に、fsw は kHz → Hz に単位変換が必要。スケーリング係数 (Vdc/Vref)·(Ic/Iref) は IEC 60747-9 の付録に記載されており、通常 ±0.5×Vref〜2×Vref、0.3×Iref〜1.5×Iref の範囲で誤差 10% 以内に収まるとされている。
スケーリング誤差の範囲
データシートの Eon/Eoff は通常 Vdc=Vref(典型 600V/1200V)、Ic=Iref(モジュール定格電流)、Tj=125℃ の 1 点のみで測定される。これを別条件にスケーリングする際の誤差源は以下。
- 電圧スケーリング: 実際は
Eon ∝ Vdc^1.0〜1.3(ベンダーや構造により異なる)。線形仮定(指数 1.0)で約 5〜15% の過小評価 - 電流スケーリング:
Eon ∝ Ic^0.7〜1.0が実測値。線形仮定で軽負荷側を過大評価する傾向 - 温度依存: Tj が 25℃ → 125℃ で Eon は約 1.3 倍、Eoff は約 1.5 倍に増加。本ツールは Tj=125℃ 相当のデータシート値を前提
これらを総合し、Tj は実測値に対して ±10〜15℃ の誤差幅を持つ。本格設計では PSpice や PLECS 等での過渡解析が別途必要。
SiC MOSFET 比較モデルの限界
本ツールの SiC MOSFET 比較は RDS(on)=25mΩ、tr=tf=15ns の固定値(Wolfspeed C3M0025065K 相当)を前提にした参考計算。
P_cond_MOS = Ic² · RDS(on) · D
P_sw_MOS = 0.5 · Vdc · Ic · (tr + tf) · fsw
SiC MOSFET の RDS(on) は実際には Tj 依存性が強く、25℃ → 150℃ で約 1.6 倍に増加する。本モデルは温度補正を入れていないため、高 Tj 領域では SiC の損失を過小評価する。実機選定では各社のデータシート(Wolfspeed、ROHM、Infineon CoolSiC 等)の温度特性曲線で再検証が必要。
計算例(ケース1の手計算)
FF450R12ME4、Ic=100A、Vdc=600V、fsw=10kHz、D=0.5、Vref=600、Iref=450、VCE(sat)=1.75V、Eon=42mJ、Eoff=38mJ:
P_cond = 1.75 × 100 × 0.5 = 87.50 W
P_sw = (0.042 + 0.038) × 10000 × (600/600) × (100/450)
= 0.080 × 10000 × 1.0 × 0.2222
= 177.78 W
P_total = 87.50 + 177.78 = 265.28 W
Tj = 75 + 265.28 × 0.058 = 90.39 ℃
ツールの出力と完全一致する。手計算でも検証できるシンプルな式だが、毎回電卓を叩くのは現実的ではない。これが本ツールの存在価値。
他ツール・既存サービスとの違い
「IGBT 損失計算」で検索しても、上位に出てくるのはメーカー配布のExcelシート(IPOSIM、Melcosim、SemiSel等)か、PSpiceシミュレーションの解説記事ばかりだ。Web上で完結するブラウザ計算機は驚くほど少なく、あっても英語で広告まみれ、入力項目が25個もあって途中で断念するパターンが多い。
このツールが他と違う点は3つ。
1つめは4機種プリセットの即時切替。Infineon FF450R12ME4、Mitsubishi CM200DY-24A、Fuji 2MBI300U4H-120、Semikron SKM400GB12T4というEV・産業インバータで使用頻度の高い1200V級モジュールをワンクリックで呼び出せる。VCE(sat)・Eon・Eoff・Rth(j-c)・Vref・Iref が一括充填されるので、データシートPDFを開く手間がない。
2つめはSiC MOSFET比較を同条件で並列表示。同じVdc/Ic/fsw/DでRDS(on)=25mΩ(C3M0025065K相当)の損失が右側に出る。fsw=10kHzでは「IGBTが導通損失で勝つ」、fsw=25kHzでは「SiC MOSFETが総合で勝つ」というクロスオーバーを数値で確認できる。SiC置き換え検討の初期判断がそのまま下せる。
3つめは接合温度Tjまで一気通貫。損失だけ出して終わりではなく、Tc + P_total · Rth(j-c) で接合温度を算出し、125℃黄色・150℃赤のStatusCardで即座に判定する。「損失計算」と「熱設計」を別ツールで往復する手間を省いた。
メーカーシミュレータは精度が高い反面、起動に5分・モデルファイル登録に10分かかる。「ざっくり当たりをつけたい」初期検討フェーズでは、ブラウザを開いて30秒で答えが出るこのツールの方が圧倒的に速い。
豆知識:IGBTの歴史と未来
1980年代の誕生 ― 「バイポーラとMOSFETの結婚」
IGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor)は1979年にGeneral Electric社のB. Jayant Baligaらが提案した構造を起源とする。1983年に米RCAが最初の商用IGBT「IGT」を発表し、その後三菱電機・東芝・富士電機が改良を重ねて1990年代に産業用インバータの標準デバイスとなった。電圧駆動でゲート損失が小さい(MOSFETの利点)+ 大電流低オン電圧(バイポーラの利点)という両取りの構造が、それまでGTOサイリスタが支配していた数百kWクラスの電力変換を一気に置き換えた経緯がある(参考: Wikipedia: IGBT)。
NPT vs PT ― ベース構造の二大派閥
IGBTにはNPT(Non-Punch-Through)とPT(Punch-Through)の2構造がある。PTは1980年代主流で、N+バッファ層を持ち縦方向の電界を制御するためチップ薄膜化に有利。一方NPTは1990年代後半に登場し、バッファ層を持たず正温度特性(Tj上昇でVCE(sat)も上昇)を示すため並列運転に強い。現代のフィールドストップIGBT(Infineon IGBT4/IGBT7、三菱第7世代)はNPTとPTの中間構造で、両方の利点を取り込んでいる。プリセットのFF450R12ME4はIGBT4世代、CM200DY-24Aは旧世代相当という違いも飽和電圧の差(1.75V vs 2.5V)に表れている。
SiC MOSFETへの置き換え動向
2020年以降、Tesla Model 3のメインインバータがSiC MOSFETに切り替わったことを契機に、EV業界での置き換えが加速した。SiC MOSFETはバンドギャップが3倍広く、Si IGBTより高耐圧・高温・高周波で動作できるため、20kHz超のスイッチングや150℃超のTj運用が可能。一方でウェハコストが10倍以上、ゲート駆動回路の設計難易度も上がるため、産業用途では「IGBTは1200V/低速/コスト最優先」「SiC MOSFETは800V/高速/効率最優先」と棲み分けが進んでいる。このツールの推奨判定ロジック(fsw>20kHzでSiC、fsw<5kHzでIGBT)はその実務感覚を反映している。
Tips:実務で効く運用テクニック
- Eon/Eoff測定条件の確認: データシートの「Switching Energies」表は必ず測定条件を併記している。Vref(多くは600V)、Iref(モジュール定格と同じか半分)、Tj(25℃か125℃か)、Rg_on/Rg_off(数Ω〜10Ω)の4点を読み取る。Tj=125℃の値はTj=25℃の1.3〜1.5倍になるため、ホット側の値を入力するのが安全側。
- 並列運転の不均衡対策: 2並列以上で運用する場合、VCE(sat)バラツキで電流が偏る。NPT構造(正温度特性)なら電流が増えたチップが熱でVCE上昇 → 自動均衡化されるが、PT構造(負温度特性)は逆方向に発散するので並列禁止と考える。プリセットの新世代モジュールはほぼNPT寄り。
- ゲート抵抗Rgの影響: Eon/EoffはRgにほぼ反比例する。Rgを2倍にするとEonは1.5〜2倍に増えるため、データシート定格Rgの値で計算した結果を「Rg実装値 / Rg定格値」で補正するのが目安。dV/dt抑制でRgを大きくすると損失が増えるトレードオフがある。
- デューティの取り方: 三相正弦波PWMの平均デューティは0.5でよいが、力率1の高速モータ駆動では実効デューティが0.45〜0.55の範囲で動く。最悪値検討なら0.6を入れる。
- Tc=75℃の根拠: ヒートシンクのケース温度75℃は「周囲温度40℃ + ヒートシンク温度上昇35℃」を想定した実機設計の典型値。屋外PCSでは周囲50℃を見込んでTc=85〜90℃で再計算するのが安全。
FAQ
プリセットに無いモジュールは計算できる?
「カスタム」プリセットを選び、データシートからVCE(sat)・Eon・Eoff・Rth(j-c)・Vref・Irefを手動入力すれば計算できる。1200V級・1700V級のIGBTモジュールであれば、IEC 60747-9のスケーリング式が同じ前提で使えるので問題ない。RC-IGBTやリバースブロッキング型は損失構造が異なるため、別途専用シミュレータを推奨する。
温度依存性(VCE(sat)とEon/EoffのTj上昇)は補正している?
現バージョンは線形スケーリングのみで、温度依存補正は実装していない。実際にはNPT構造のIGBTでTj=25℃→125℃でVCE(sat)が約1.3倍、Eon/Eoffが約1.4倍に上がる。データシートのTj=125℃側の値を入力すれば、ホット動作点の損失を推定できる。コールド始動時とウォーム動作時の両方を別計算で確認するのが推奨フロー。
逆並列ダイオードの損失は別計算が必要?
このツールはIGBT本体の損失のみ計算する。FWDi(Free-Wheeling Diode)の導通損失とリカバリ損失は別途算出が必要だ。リカバリ損失はリカバリ損失計算機で計算でき、Si高速ダイオードかSiC SBDかでQrr(リカバリ電荷)が10倍以上違うため必ず確認したい。インバータ全体の損失見積もりは「IGBT損失 + ダイオード損失 + ゲート駆動損失」の合算で考える。
サージ電圧(dV/dtによるVCEオーバーシュート)はチェックできる?
サージ電圧は寄生インダクタンスLsとdi/dtの積(Vsurge = Ls · di/dt)で決まるため、回路レイアウト依存となる。このツールはモジュール特性とDCバス電圧の比較のみで、レイアウトインダクタンスを入力する仕組みは持たない。実機設計ではdV/dt=5kV/μs想定でVCES定格の80%以下に収まるよう、スナバ回路かソフトスイッチング技術を併用する必要がある。
SiC MOSFET比較値はどの程度信頼できる?
参考SiC MOSFETはCree(Wolfspeed)C3M0025065K相当の固定値(RDS=25mΩ、tr=tf=15ns)で計算しているため、あくまで「ざっくりした優位性の目安」と捉えてほしい。実際のデバイスはRDS(on)が温度で1.5倍に上昇したり、ゲート駆動電圧で特性が変わるため、最終選定はメーカーシミュレータでの詳細検討が必須。傾向把握には十分使える精度。
まとめ
IGBT損失計算はデータシートを開いて電卓を叩く作業を、4機種プリセット+SiC MOSFET比較+Tj算出の1画面で一気に終わらせるためのツールだ。EV駆動・産業インバータ・太陽光PCSの初期検討フェーズで、デバイス選定と熱設計の方向性を30秒で固められる。
関連ツールと組み合わせるとパワエレ設計フローが完結する。SiC MOSFET側の詳細損失はMOSFETスイッチング損失計算機で精密化、放熱器の熱抵抗とTj逆算はヒートシンク計算で具体化、FWDiのリカバリ損失はリカバリ損失計算で追加できる。要望や改善点はお問い合わせから気軽に教えてほしい。
Mahiro
Mahiro Appの開発者。EVインバータの熱設計で FF450R12ME4 を何度も触ったとき、損失計算とTj算出を別ツールで往復する手間を削ぎ落とすために作った。IEC 60747-9線形スケーリングで±15%の初期検討精度を担保しつつ、SiC MOSFET比較まで一気に見せる構成を狙っている。
運営者情報を見る