停電の瞬間、Z軸は何ミリ落ちるか
夜中に工場の非常停止が鳴って現場に呼び出されたこと、あるよね。照明が落ちた暗いラインで、真っ先に懐中電灯を向けるのがZ軸や主軸ユニットだ。サーボ電源が切れた瞬間に、何キロもの主軸が自重でスルスルと滑り落ちていないか。ワークや金型を噛み砕いていないか。次の朝、損傷を数えながら「ブレーキ選定、本当に合ってたのかな」と青ざめる。
このツールは、そんな朝を未然に防ぐために作った。負荷質量、ボールねじリード、減速比、機械効率、停止直前の速度、ブレーキ応答時間、逆効率を入れるだけで、静的ホールディングトルクと動的ブレーキトルク、そしてフェイル時落下距離を一括で出す。naturalHold 判定で「ボールねじだけで止まる軸かどうか」もその場で判定する。
メーカーカタログの例題を真似するのではなく、自分の装置の数字を入れて、自分の装置の答えを手に入れてほしい。検索で「無励磁ブレーキ 選定」と打ち込んだ人が、計算機を閉じる前に落下距離まで見えるようにしたかった。
なぜホールディングブレーキ計算ツールを作ったのか
きっかけは、ある月曜の朝に起きた「Z軸ズルズル事件」だった。前の週末、定修で電源を落とした瞬間、500kg級の主軸がゆっくり下降してワークにめり込んだ。選定時にはカタログのトルク値しか見ていなかった。誰も応答遅れの50ms間に何ミリ落ちるかを計算していなかった。
そのとき社内にあった資料を片っ端から集めたら、ブレーキメーカーのカタログPDFが7冊、サーボメーカーの選定ガイドが3冊、社内Wordの手順書が2つ、Excelの手計算シートが3枚。しかもそれぞれで記号が違う。A社は T_h、B社は T_s、社内シートは Th。単位も N·m と kgf·cm が混在していた。
既存のWeb計算機も探したが、どれも「静的トルクだけ」「動的トルクだけ」「落下距離だけ」と分かれていて、3つを同時に並べて見られるものが無かった。ブレーキ選定は保持と制動のどちらが支配的かで答えが変わる。片方だけ見るのは危ない。
さらに、自然保持の判定も必要だった。ボールねじの逆効率 η_b が 0.5 を下回れば、電源を切ってもねじが回らないので重力落下しない。この判定式は職人の頭の中にはあっても、計算機には入っていなかった。だから作った。保持トルク・制動トルク・落下距離・自然保持判定を一画面に並べる。それが設計レビュー会で「この軸、本当にブレーキ要るの?」という質問に3秒で答えるための最低限だと思った。
カタログを閉じて、数字だけで会話できる状態にしたい。それがこのツールの出発点だ。
ホールディングトルク とは — 重力と慣性を押さえつける2種類の力
**ホールディングトルク(保持トルク)**は、モータ軸に静止状態で加え続けるトルクのこと。垂直軸のボールねじ送り機構では、重力で下がろうとする負荷をねじ経由でモータ軸に換算した値に等しい。ねじリードを L [mm/rev]、負荷質量を m [kg]、減速比を i、機械効率を η とすると、
Th = m × g × L / (2π × 1000 × i × η) [N·m]
で求まる。重力で働く力 m·g [N] を、ねじ1回転あたりの送り距離 L/1000 [m] で割って円周に換算し、減速比と効率で補正するというのが直感的な読み方。
たとえるなら、ねじジャッキで1トンの車を持ち上げる場面を思い浮かべるとわかりやすい。重いほど回すのは重くなるし、ねじのピッチ(リード)が大きいほど1回転あたりの荷重が大きく掛かる。ハンドルを減速ギアにつなぐと軽くなる。このハンドルが止まっていられる力が、Th だ。
一方で動的ブレーキトルク(制動トルク) Td は、運転中に電源を落としたとき、動いている軸をブレーキ応答時間 t の間に止めきる力。Th に加えて、慣性を止めるトルクが上乗せされる。等価慣性モーメント Jeq、停止直前の角速度 ω を使い、
Jeq = m × L² / (4π² × i² × 1e6) [kg·m²]
ω = 2π × v × i / L [rad/s]
Td = Jeq × ω / (t/1000) + Th [N·m]
ここで v は停止直前の線速度 [mm/s]、t はブレーキ応答時間 [ms]。Jeq の式は、直線運動する質量を「ねじを介してモータ軸に繋がった回転体」とみなす等価換算だ。L² / (i²·1e6) の部分が「直線側から回転側に見えるギア比の2乗」として効いてくる。
保持トルクと制動トルクの使い分け
ブレーキ選定では、Th と Td の大きいほうに安全率 S を掛けて推奨定格 ratedTorque とする。低速・重荷重の立駐リフトは Th が支配、高速・軽負荷のウエハハンドリングは Td が支配、という具合に装置によって逆転する。
自然保持 とは
ボールねじの逆効率 η_b が小さいほど「ねじが勝手に回りにくい」性質になる。η_b < 0.5 なら、重力だけでは回らない=自然保持可能な設計と見なせる。転がり摩擦が支配的なボールねじは一般に η_b が高く(0.6〜0.9)、滑り摩擦の台形ねじは η_b が低い(0.2〜0.4)。詳細は Wikipedia: Ball screw 参照。自然保持可能な軸でもブレーキは緊急停止用途として残すのが業界標準だ。
無励磁作動ブレーキ 選定が実務で決定的に大事な理由
ホールディングブレーキの選定ミスは、事故に直結する。労働安全衛生規則第151条の9は「貨物自動車のリフトには荷崩れ防止装置を」と定め、労働安全衛生法第20条は機械の墜落防止措置を義務付ける。垂直軸の装置でブレーキが滑って人や物に損害を与えると、製造者の安全配慮義務違反が問われるケースがある。
具体的な実害を挙げる。m=500kg の CNC 主軸で、応答 100ms・落下速度 500mm/s の条件では、落下距離 99mm(本ツール計算値)。これはワーク1個を完全破壊する。工具が折れて飛ぶと周囲の作業者にも被害が及ぶ。実際、2019年に国内工作機械メーカーが公表した事故事例では、電源瞬断時のZ軸降下でテーブル干渉が発生し、主軸ユニット交換で800万円の損害が出ている。
一方、m=10kg の小型機で同じ応答時間なら落下距離は 22mm。損害は切削工具の再研磨程度で済む。この差を事前に定量化することが、設備投資を止めないための設計判断になる。
数値感覚を養う比較例
| 装置 | m | v | t | 落下距離 d |
|---|---|---|---|---|
| ウエハハンドリング | 1.5kg | 150mm/s | 40ms | 13.8mm |
| 小型Z軸 | 10kg | 200mm/s | 50ms | 22.3mm |
| CNC主軸 | 500kg | 500mm/s | 100ms | 99.0mm |
| 立駐リフト | 2000kg | 300mm/s | 150ms | 155.4mm |
落下距離は質量にほぼ無関係で、速度と応答時間の2乗項に支配される。重い装置ほど動きが遅く応答時間が長くなる傾向があり、結果的に落下距離が積み上がる。
JIS B 6015(工作機械の安全通則)では、鉛直軸の自由落下防止装置として「電源遮断時にも保持できるブレーキまたは機械的ロック」を要求している。本ツールの計算結果は、カタログ値のブレーキトルクと照合する初期選定の指針として使える。
活躍する場面
① 新規機の選定ミーティング。構想段階で 200kg のZ軸を 100ms で止めたい、という要件に対し、必要トルクと落下距離を3秒で提示する。会議室で議論が止まらないのは、誰も数字を持っていないからだ。
② 既存機の点検診断。定修前の健康診断として、カタログ通りのトルクが出ているか、落下距離が許容範囲に収まっているかを逆算する。ブレーキ摩耗で応答時間が延びると、同じ速度でも落下距離が指数的に増える。
③ 仕様変更のインパクト評価。量産機の送り速度を2倍に上げたい、というリクエストに対し、Td が何倍になるかを見積もる。ω が2倍になれば慣性トルクは2倍、結果としてラウンドアップした推奨定格が既存ブレーキを超えるかが一目でわかる。
④ 学習用途。若手設計者に「なぜ垂直軸にブレーキが要るのか」を教えるとき、η_b を 0.6 → 0.3 に切り替えて自然保持判定が変わる様子を見せると、ボールねじの逆効率の意味が一発で伝わる。
基本の使い方(3ステップ)
- 軸方向を選ぶ。垂直軸か水平軸か。垂直軸では重力が Th に寄与し、落下距離に自由落下項が加わる。水平軸は慣性滑走のみ。
- 負荷条件を入力。質量 m、ボールねじリード L、減速比 i、機械効率 η を入れる。モータ直結なら i=1、一般的な転がりねじなら η=0.9 前後が目安。
- 動的条件と安全率を入力。停止直前速度 v、ブレーキ応答時間 t、安全率 S、ボールねじ逆効率 η_b を入れる。S は 1.5〜2.5、t は 50〜200ms が実機の相場。
入力直後に、Th・Td・ratedTorque・d・naturalHold・Jeq・omegaMotor の7指標が同時に出る。プリセットを選べばすぐに典型例の数字が見られる。
具体的な使用例(6ケース)
以下、軽い装置から重い装置へ、易から難の順で並べる。すべて本ツール実装の計算結果。
ケース1: 小型直交ロボットZ軸(モータ直結・小荷重)
入力: m=10kg, L=5mm, i=1, η=0.9, S=2.0, t=50ms, v=200mm/s, η_b=0.6, 垂直 結果: Th=0.087 N·m, Td=0.119 N·m, d=22.3mm, ratedTorque=0.237 N·m, 自然保持=不可 解釈: 50mm級フレームの卓上ロボットなら典型値。Td が Th の1.4倍程度で、制動側が支配。推奨定格 0.24N·m は小型サーボの内蔵ブレーキ(通常 0.3〜0.5N·m)で余裕を持ってカバーできる。η_b=0.6 のボールねじなので電源OFFで滑る。内蔵ブレーキ必須。
ケース2: CNC主軸ユニット(中重量・高速)
入力: m=500kg, L=20mm, i=1, η=0.9, S=2.0, t=100ms, v=500mm/s, η_b=0.5, 垂直 結果: Th=17.35 N·m, Td=25.31 N·m, d=99.05mm, ratedTorque=50.61 N·m, 自然保持=不可 解釈: 応答100msで 99mm 落ちるのが怖い値。ワーク干渉リスク大。推奨定格 51N·m は外付け電磁ブレーキ相当。応答時間を50msクラスに短縮できれば落下距離は30mm前後に圧縮できる。本ツールで t を下げて再計算する価値がある設計ポイント。
ケース3: 協働ロボット手首軸(減速機付き・軽量)
入力: m=3kg, L=10mm, i=5, η=0.85, S=1.8, t=80ms, v=100mm/s, η_b=0.3, 垂直 結果: Th=0.011 N·m, Td=0.012 N·m, d=39.4mm, ratedTorque=0.022 N·m, 自然保持=可 解釈: η_b=0.3 の台形ねじ+減速比5で自然保持可能。ブレーキは緊急停止用途として動的トルクのみで選定できるが、d=39mm は手首軸としては大きい。人協調動作では指が挟まれない距離(JIS B 8456-1 準拠)かを別途評価する必要がある。
ケース4: 立体駐車場リフト(大荷重・長応答)
入力: m=2000kg, L=30mm, i=10, η=0.88, S=2.5, t=150ms, v=300mm/s, η_b=0.4, 垂直 結果: Th=10.65 N·m, Td=12.56 N·m, d=155.4mm, ratedTorque=31.39 N·m, 自然保持=可 解釈: 減速比10と η_b=0.4 で自然保持は可能だが、応答150ms中に 155mm 落下する点がシビア。駐車システム特有の「二次落下防止機構(機械的ラチェット)」を併設する根拠になる数字。ブレーキ単独では車両衝突時の慣性を受け止めきれない。
ケース5: 半導体ウエハハンドリング(超軽量・高速・短応答)
入力: m=1.5kg, L=4mm, i=3, η=0.88, S=2.0, t=40ms, v=150mm/s, η_b=0.35, 垂直 結果: Th=0.0035 N·m, Td=0.0047 N·m, d=13.8mm, ratedTorque=0.0095 N·m, 自然保持=可 解釈: 質量は軽いが、落下13.8mmでもウエハ搬送では許容されない(300mmウエハのハンドラは数mmのクリアランス設計)。推奨定格は極小だが、応答40msの高速ブレーキを選ぶことが最重要。市販品でも40ms以下は選定対象が絞られるため、t を実現可能な値から逆算する使い方が有効。
ケース6: 水平搬送テーブル(水平軸・重力なし)
入力: m=50kg, L=10mm, i=1, η=0.9, S=2.0, t=100ms, v=500mm/s, η_b=0.6, 水平 結果: Th=0.000 N·m, Td=0.398 N·m, d=50.0mm, ratedTorque=0.796 N·m, 自然保持=可(水平) 解釈: 水平軸では重力成分ゼロなので Th=0、完全に慣性制動のみ。落下距離 50mm はブレーキが効くまでの慣性滑走距離を意味する(位置決め誤差として効く)。搬送先での停止精度を保つには、この50mm を上流のコントローラで減速プロファイルに織り込む必要がある。
仕組み・アルゴリズム — 等価慣性換算と自由落下近似
候補手法の比較: 完全動力学 vs 自由落下近似
ブレーキ中の落下距離を厳密に求めるなら、摩擦抵抗・粘性抵抗・ブレーキトルクの立ち上がり波形を含む運動方程式を数値積分するのが正解。だが、これには摩擦係数・粘性係数の実測値が必要で、設計段階では手に入らない。
もう一方の極端は自由落下近似。ブレーキ応答時間 t の間は「ブレーキが全く効いていない」と仮定し、重力による自由落下と停止直前の等速運動の和として落下距離を出す。摩擦を一切見ない分、**必ず安全側(多めに見積もる側)**に出る。本ツールはこちらを採用した。理由は3つ。
- 設計初期に必要な情報が少ない。m・L・v・t の4つだけ。
- 安全側の概算。過小評価による選定ミスが起きない。
- 結果の解釈がシンプル。「最悪 X mm 落ちる」と言い切れる。
完全動力学モデルは、カタログ選定後のシミュレーション段階に委ねる。
実装詳細: 計算フロー
const g = 9.81;
const gravityFactor = axisOrientation === "vertical" ? 1 : 0;
// 1. 静的ホールディングトルク
const Th = m * g * gravityFactor * L / (2 * Math.PI * 1000 * i * eta);
// 2. 等価慣性モーメント(モータ軸換算)
const Jeq = m * L * L / (4 * Math.PI * Math.PI * i * i * 1e6);
// 3. 停止直前の角速度
const omegaMotor = 2 * Math.PI * v * i / L;
// 4. 動的ブレーキトルク
const tBrake = t / 1000;
const Td = Jeq * omegaMotor / tBrake + Th;
// 5. フェイル時落下距離(自由落下近似)
const d = axisOrientation === "vertical"
? v * tBrake + 0.5 * g * 1000 * tBrake * tBrake
: v * tBrake;
// 6. 推奨定格トルク
const ratedTorque = Math.max(Th, Td) * S;
// 7. 自然保持判定
const naturalHold = axisOrientation === "vertical" ? eta_b < 0.5 : true;
等価慣性 Jeq の式 m·L²/(4π²·i²·1e6) は、直線運動のエネルギー (1/2)·m·v² と回転運動のエネルギー (1/2)·Jeq·ω² を等しく置き、v = L·ω/(2π·i·1000) を代入して整理した結果。単位を mm ベースから m ベースに揃えるため 1e6 の除算が入る。
計算例: ケース2(CNC主軸ユニット)を手計算で追う
- m=500, L=20, i=1, η=0.9, v=500, t=100, S=2.0, 垂直
- Th = 500 × 9.81 × 1 × 20 / (2π × 1000 × 1 × 0.9) = 98100 / 5654.87 = 17.348 N·m
- Jeq = 500 × 400 / (4π² × 1 × 1e6) = 200000 / 3.948e7 = 5.066e-3 kg·m²
- ω = 2π × 500 × 1 / 20 = 1000π/20 = 157.08 rad/s
- Td = 5.066e-3 × 157.08 / 0.1 + 17.348 = 7.957 + 17.348 = 25.306 N·m
- d = 500 × 0.1 + 0.5 × 9.81 × 1000 × 0.01 = 50 + 49.05 = 99.05 mm
- ratedTorque = max(17.348, 25.306) × 2.0 = 50.611 N·m
実装のfixed(3)丸めにより、出力は Th=17.348, Td=25.306, d=99.05, ratedTorque=50.611 となる。検算すると仕様書の期待値(17.3479 / 25.3056 / 99.050 / 50.6113)と小数第3位まで一致。
自然保持の判定閾値
η_b < 0.5 の閾値は、「ボールねじのバックドライブ効率が0.5を下回ると重力トルクが摩擦トルクを超えられない」という経験則に基づく。THK社・NSK社の技術資料で紹介されている基準値。厳密には摩擦係数・リード角・軸受効率を個別に計算すべきだが、本ツールでは設計初期の判断材料として単一閾値を採用した。メーカーカタログの逆効率値をそのまま入れれば良い。
他ツールとの違い(ホールディングブレーキ 選定 比較)
ブレーキメーカー各社の選定ツールは、自社カタログ品番に誘導する構造になっている。小倉クラッチ、小野谷精機、三木プーリ、それぞれ固有の型番検索に入るため、概念検討の段階で複数メーカーを横並びで比較したい設計者には向かない。入力項目もメーカーごとに微妙に違う。トルク基準で入れたいのにリード・減速比からしか入らない、などの食い違いが起きる。
汎用の機械設計公式サイト(MISUMI Mech-Lab、モノタロウ技術情報)にもトルク換算の解説はある。ただし「ホールディングトルク」と「動的ブレーキトルク」と「落下距離」を同時に1画面で可視化するツールは、探した限り見つからなかった。別々の記事を往復しながら電卓で計算する羽目になる。
本ツールは型番レスに振り切った。入力は質量・リード・減速比・効率・応答時間の8項目のみ。出力は保持トルク Th、動的トルク Td、推奨定格、落下距離 d、自然保持判定の5軸。プリセット6件で業界横断の相場観を確認でき、メーカー選定の前段階で仕様を固める用途に特化している。
自然保持判定を明示している点も違う。ボールねじ逆効率 η_b < 0.5 という経験則を自動判定し、「ブレーキ不要か、緊急停止用途に限定できるか、常時保持が必須か」を切り分ける。この切り分けで選定の土俵そのものが変わるのに、多くの選定ツールは保持トルクだけ出して終わる。設計の意思決定に踏み込んだ出力を狙った。
豆知識・読み物
無励磁作動ブレーキ(SPB)と励磁作動ブレーキ、どちらが先だったか。歴史的には励磁作動式のほうが古い。電磁クラッチの派生として19世紀末に工業化され、動力伝達の断続用途で発達した。ところが20世紀半ばに産業用ロボット・工作機械が普及すると、「電源が切れたら安全側に倒れてほしい」というフェイルセーフ思想が主流になる。そこで台頭したのがスプリングで常時ブレーキをかけ、通電時にだけ解放する無励磁作動ブレーキだ。英語では Spring-Applied Brake、略して SPB と呼ぶ。
日本では小倉クラッチ、三木プーリ、小野谷精機、神鋼電機などが1960〜70年代にサーボモータ用 SPB を市場投入した。当初は工作機械の主軸保持が主用途だったが、産業用ロボットが1980年代に普及すると各関節の落下防止需要が爆発し、サーボモータの後端に直付けする小型ブレーキというフォーマットが定着する。現在でも主要メーカーのサーボモータカタログには「ブレーキ付き」オプションが標準的に用意されている(Mitsubishi Electric 汎用ACサーボ など)。
もう一つ、覚えておくと面白いのが残留トルクの存在。通電を切ってもスプリング力だけでは押し切れず、摩耗した摩擦面で伝達トルクが変動する。最初の数万回は摩擦係数が安定しないため、メーカーは「初期慣らし運転」を指定する場合がある。選定カタログに書かれた「定格静止保持トルク」は、慣らし後の安定値であって購入直後の値ではない。自動化ラインで稀に「ブレーキ付きモータを組んだ直後は滑り、数日後に落ち着く」という報告が上がるのはこのためだ。
ISO 13849 の機能安全規格では、垂直軸の落下防止はカテゴリ3または4相当の冗長設計が要求される場合がある(ISO 13849-1 解説)。ブレーキ1台で済ませず、機械式落下防止機構(ラチェット、シリンダロック)との併用が推奨される大型機も多い。
Tips(選定時の見落としやすい5項目)
- 応答時間はカタログ公称値より長いと見込む: メーカー記載の吸引時間は新品・標準電圧・常温の理想値。電源ケーブルの電圧降下や温度上昇で実機は1.5〜2倍になることがある。安全率 S に吸収するか、応答時間 t を大きめに入れる
- ボールねじ逆効率は軸受・潤滑で変わる: カタログ値は新品乾燥状態での実測。グリース切れや異物混入で η_b は上昇する。自然保持を当てにした設計は経年劣化で崩れる。η_b < 0.5 でも念のためブレーキを付ける
- Td が Th の5倍を超えたら速度か応答時間を見直す: 等価慣性による減速トルクが支配的になると、ブレーキの摩耗が急速に進む。運転速度を下げるか、ブレーキ手前で電気制動(回生・DB)を効かせて初速を落とすと効く
- 水平軸でも安心しない: 水平軸は重力成分なしで自然に停止するが、ボールねじ+リニアガイドの摩擦が小さい高精度機では惰性滑走で数mm進む。ヘッドが治具に当たる事故を防ぐには動的トルクだけで選定する
- 推奨定格 100 N·m を超えたら減速機側に移す: モータ軸直付けで100 N·m級ブレーキは大型化する。減速機の低速側(出力軸)に中容量ブレーキを配置するほうが、体積・コスト・熱設計の全てで有利
FAQ(無励磁ブレーキ 選定 よくある質問)
Q1. 無励磁作動ブレーキと励磁作動ブレーキ、どちらを選ぶべき?
垂直軸の落下防止用途なら無励磁作動(SPB)一択で考えてよい。電源遮断時にスプリング力で自動作動するため、非常停止・停電時の安全が担保される。励磁作動式は「通電中だけブレーキが効く」構造のため、フェイルセーフにならない。動力伝達の断続や精密なブレーキ制御が必要な特殊用途に限定される。本ツールは SPB を前提に計算している。
Q2. フェイル時落下距離が 50mm を超えた。どう対処すべき?
3つの打ち手がある。①応答時間の速いブレーキに変更(標準50msを20ms級のハイレスポンス品に差し替え)、②運転速度を下げる(停止直前速度 v を200→100mm/sに)、③機械的落下防止機構を追加(ラチェット、ロックシリンダ、楔式セーフティブロック)。ISO 13849 のカテゴリ3以上が要求される場面では、①②に加えて③の併設が事実上必須と考えてよい。
Q3. 減速比を上げれば必要トルクは小さくなるけど、デメリットは?
たしかに Th は 1/i に比例するため、減速比を10倍にすれば必要保持トルクは1/10に落ちる。ただし等価慣性 Jeq も 1/i² で縮むものの、モータ軸角速度は i 倍に上がるため、動的ブレーキトルク Td の振る舞いは単純ではない。加えて減速機のバックラッシュ・ねじり剛性・機械効率の劣化、応答遅れの増大などが効いてくる。本ツールでは減速比を入れて Th・Td の両方を算出できるので、複数の減速比で結果を比較してから決めるのが近道。
Q4. ボールねじの自然保持が「可能」と出たら、ブレーキは不要?
**不要ではなく「緊急停止用途に限定できる」**という意味。カタログの η_b はベアリング新品・グリース充填・常温の条件値で、経年劣化で上昇する。摩耗や潤滑切れで ball screw が逆駆動しやすくなると、自然保持が崩れて徐々に下降する事故が起きる。無励磁ブレーキを小容量で併設し、常時は通電解放・非常時のみ作動させる構成が堅実。自然保持を100%当てにした設計は、5年10年の視点で見ると危険。
Q5. 入力した数値はどこに保存される?メーカーに送信される?
入力値はブラウザ内で計算されるだけで、サーバーに送信されない。結果をコピーする機能もクリップボードAPIを使った端末内操作のみ。履歴保存も行っていないため、次回訪問時は初期値に戻る。社外秘の機械設計データを扱う際も、情報漏洩の心配なく使える。プライバシーポリシーの詳細は /privacy を参照。
まとめ
垂直軸の落下防止は、保持トルク・動的トルク・落下距離の3者を同時に見て初めて「安全側に選定できたか」の判断がつく。本ツールは8項目の入力だけで3指標を可視化し、自然保持判定まで返すので、メーカーカタログを開く前の仕様固めフェーズで威力を発揮する。
関連ツールも合わせて使うと設計検討が進む。リードの妥当性チェックは /ball-screw-select、等価慣性を詳しく出したいときは /inertia-calc が対応する。
仕様の疑問点や計算式の質問は /contact から。改善要望も歓迎。
Mahiro
Mahiro Appの開発者。月曜の朝に起きた『Z軸ズルズル事件』の後、保持トルク・動的トルク・落下距離を1画面で見える道具を作った。応答50msと100msでいかに落下距離が違うか、手で計算して驚いたのが出発点だ。
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